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「歴史の終わり」による社会科学の瀕死

日本に限定して話をすると、つまりこういうことである。
政治体制は「民主主義」で永遠に安定し国民が「全体主義」を選ぶことはない。
経済体制は「資本主義」で永遠に安定し国民が「共産主義」を選ぶことはない。
すなわち、リベラリズムが唯一の国家体制かつ社会科学として永遠に君臨する。
このリベラルな国家や社会への不満は3つだけ考えられる。

1.体制そのものへの不満
2.体制の政策への不満
3.体制の政策者が何とかできないものへの不満

1.は「資本主義を廃して共産主義体制にしろ」など、リベラリズムそのものへの
廃止要求である。これは刑法に触れるならば法的に処理され、
触れなければ各種勧誘で賛同者を増やし、圧力団体や選挙により政治的に目的を
成すのだが、「歴史の終わり」という前提理論からそもそもありえない。
ありえないというのは、大衆的な支持が得られない(=普遍性がない)ということである。
またその要求や運動はいかなる学問による正当化もできず、その賛同者は主観的な
好悪により寄り集まっただけの「同人誌団体」にすぎない。
なぜならば、リベラリズムのみが唯一の社会科学だからである。

2.は「ワーキングプアを支援しろ。所得を再分配しろ」や「民族差別を立法とか
行政など体制の政策でやめさせろ」といった、立法と行政「政策」への改変要求である。
これも、各種勧誘で賛同者を増やし、圧力団体や選挙により政治的に目的を
成すのだが、その要求や運動はいかなる学問による正当化もできず、
その賛同者は主観的な好悪により寄り集まっただけの「同人誌団体」にすぎない。
なぜならば、リベラリズムのみが唯一の社会科学だからである。

3.は、「自分の企業の賃金を上げろ」「XXという団体が私を中傷した」
「一年に5%経済成長させろ」といったものだが、法的に調停できるならばそうなり
法が関与しない自由の領域であるなら言論なり何なりで「(広い意味での)政治的」に
行動するか「自分を変えるか、耳と目を閉じ口を噤んで孤独に暮らせ」ということになる。

いずれも、リベラリズムの体系内で処理の手続きが決まっている不満なのである。
他の社会科学は、リベラリズムの一部の領域における「子供の使い」にすぎず、
現状では存在しなくてもいいのである。

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